総番長日記

大日本番長連合電脳通信

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その時歴史が動いた 

もしも・決断の瞬間編
 

その時歴史が動いた 

源平争乱・元寇編
 

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実は傑作?「ウルトラマンA」(5 

8月5日

子供の時…私は「ウルトラマンA」が好きではなかった。

男女合体変身がウリだったハズの「A」…だのに番組途中からヒロイン南夕子が姿を消し、北斗星司が(左右の手に指輪をはめて)一人で変身するようになったのを見て…

「だったら、最初から北斗隊員が一人で変身してればよかったのに…。」

と、本放送当時6歳だった私は思った。
ナマイキだった。

その感想はずっと変わらなかった。
高校時代、ウルトラシリーズのちょいマニア向けのLPレコード「サウンドウルトラマン」やムックが発売され、1974年の「レオ」を最後に休止状態だったシリーズに再評価の気運が高まり、テレビでも再放送が始まった。
その時、再び「A」を見た時も…

「冬木透先生のBGMはサイコーだけど…南夕子カワイイのに、どうして途中でナシにしちゃうかね。やっぱ、エースはダメだな。」

と思った。青かった。
「見ているのはどうせ子供だろ?と思ってバカにして作ってやがる」と思っていた。

「裏切られた」と…。

しかし、実際はそうではなかった。
日本のテレビ界で先にも、そしておそらくは今後もないであろうほどの特撮ヒーロー番組林立時代の荒波に揉まれながら、「A」をどの方向へ進めていけばいいのか?製作者たちも悩み苦しんでいたのだ。

その後、漫画業界に身を置くようになってから…私にも徐々に“オトナの事情”というものがわかってきた。
そういうものが見えてくるにつれ、私の中での「A」の評価も段々変わってきた。

つまり、企画というものは変質してゆくものだということが、理解できるようになったのだ。

最初は何をやろうとしていたのか?
それがなぜ変異していったのか?
企画内容を咀嚼(そしゃく)して、経緯を冷静に分析することができるようになった。

その上で現在、あらためてDVDなどで「A」を見返してみると…結果としては失敗してしまったかもしれないが…「A」が“新しいウルトラマンを作る”という課題に果敢にチャレンジし、新たな可能性、方向性を探っていた野心作だったということがわかる。

先達の残した「ウルトラマン」というフォーマットをただなぞるのではなく、新しい何かをそこから始められないか?と。

視聴者が、それを望んでいたかどうかは別として…。

視聴者は必ずしも、新しいものを求めているわけではない。
“いつまでも変わらぬままのアナタでいてほしい。その方が安心してみていられるから…”とでも言おうか?
特に長寿番組ではその傾向が強い。

例えば「水戸黄門」で、番組開始5分で黄門様が印籠をかざし、ヤケクソになった悪代官が切りかかって黄門様が瀕死の重症を負ってしまう…という始まり方をするエピソードが、もしもあったとしよう。
それはたいへん野心的で、私としてはその方が面白いと思うのだが、「水戸黄門」を長い間ずっと見てきたおじいさん、おばあさんにとっては、きっと不安になって見ていられなくなってしまうに違いない。
それはその人たちが「水戸黄門」という番組に、ハラハラドキドキの息をもつかせぬ展開と刺激を期待して見ているわけではないからだ。

そういえば、映画「ディープインパクト」が公開された時、「暴れん坊将軍」の一本で“江戸に隕石が落下してくる”というエピソードが実際にあった。

ストーリーの最後、隕石は江戸の中心を大きく外れて遠い郊外に落下して、メデタシメデタシとなるのだが…やはりこの回は「暴れん坊将軍」の中でも異色…というか異常だった。
視聴率的にはどうだったのだろう?

長寿番組の中でそうした実験的な試みが行われた時は、あとで必ず“引き戻し現象”が起きる。

「A」も、開始当初に盛り込まれていた野心的な設定が放送中にどんどん修正されて、最終的には“いつも通りのウルトラマン”に戻っていった…。

そのことで一番悔しい思いをしたのは…おそらく、その野心的な設定を「A」に盛り込もうとした人だろう。

最終回の脚本を担当した市川森一先生は、地球を去ってゆくウルトラマンAにこんなセリフを言わせている。

「子供たちよ…どうか優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようとも…それが、私の最後の願いだ。」

物語のラストを締めくくるには、いささか長すぎるセリフだ。
しかし、市川先生の「A」という作品に寄せた万感の思いと無念が、このセリフには凝縮されていて胸が締めつけられる。

このセリフはもう、一人のクリエーターとしての敗北宣言だ。

と同時に、「A」を見て“裏切られた”と感じたであろう子供たちへの謝罪文であり、市川先生自身の“子供番組”と“それをメシの種としか考えていなかったバカなオトナたち”への決別表明に他ならない…と書いたら、言い過ぎだろうか?

市川先生がNHK大河ドラマの傑作「黄金の日日(おうごんのひび)」の脚本を書くのは、この4年後のことである。

必ずしも視聴者は野心作を望んでいる訳ではない、と書いたが…本当にそうだろうか?

野心作というものはたいていの場合、野心的すぎてすぐには理解されない。
その証拠に本放送中には人気が出ず、後で再評価されることが多い。
そしてその作品が長期シリーズだった場合、野心作はそのシリーズの可能性、幅を広げることにあとで大きな役割をはたす…。

平成仮面ライダーシリーズでいうなら「響鬼」がそうだった。
「響鬼」がなければ、後の「電王」の大ヒットもなかっただろう。

「ウルトラマンA」で蓄えられたリサーチはシリーズに活かされ、子供番組として悩みを完全にふっ切った後番組「ウルトラマンタロウ」を生み出した。

そしてウルトラシリーズは現在も続く。
多分、これからも挫折と再生を繰り返しながら続いてゆくだろう。

未来へのヒントは過去にある。

ビジネスとしてソフト化されることが大前提の現在からは考えられないことだが、実相寺監督は「オレがウルトラマン作ってたころは、後でこんなに何度も見返されるなんて思ってなかったからなぁ。」とよくおっしゃられていた。
生々しい本音だ。

だからこそ、昭和ウルトラシリーズには成功も失敗も傑作も何だかよくわからないものもライブで刻みつけられている。

皆さんもいま一度「ウルトラマンA」を再見してみてはいかがだろう?

(おわり)  
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2009/08/06 01:43|特撮魂TB:0CM:0

実は傑作?「ウルトラマンA」(4 

8月4日

製作の初期段階、プロット作りや脚本チームの中心となって「A」の作品世界を構築していった脚本家、市川森一先生。

市川先生が「ウルトラマンA」で描こうとしていたものは何だったのか?

「A」の劇中…もっとも有名なエピソードのひとつにこんな話がある。

宇宙のとある星に、ウルトラ兄弟達が呼び出される。
その星の名は“ゴルゴダ星”。
しかしそれはヤプール人が仕掛けた罠で、ウルトラ兄弟の能力を分析してヤプール人が作った強力な戦闘ロボット、エースキラーにウルトラ兄弟は捕らえられ“十字架に磔(はりつけ)”にされてしまう。

兄弟達を救うため、ゴルゴダ星へ向かうA。
その隙をついて、ウルトラマン不在の地球に超獣が出現する。
その超獣の名は“バラバ”…。

“バラバ”は磔刑にされるイエス様の身代わりとして罪を許された罪人の名。
“ゴルゴダ”はイエス様が十字架に架けられた刑場の地名。
どちらも聖書からの引用だ。

それは、完成された「A」全編を通してみればほとんど薄められ消えてしまったにも等しいモチーフなのだが…

実は「ウルトラマンA」という作品は、意図的にキリスト教の聖典“聖書”の世界…“黙示録的世界観”をジャリ番(アニメや特撮などの子供向け番組)で描こうとした先駆的作品だった。

聖書に描かれている“神と悪魔”は、単純な“正義と悪”ではない。

聖書の神様は、人間の信仰心を試すために時には生け贄を要求したりもするし、信仰心をなくした淫らな人々には神罰を当てて街ぐるみ消滅させたりもする。

それもこれも、我が子が曲がった道に進まぬよう、人間を愛するがゆえの厳しい折檻…なのはわかるけれど、まさに“しつけにうるさい親”そのものだ。

それに対し、人間はまるで“親のいいつけに耳を貸さない身勝手な子供”のようなもの。
親の愛を忘れて、欲望に負けてすぐ罪を犯してしまう。

お金持ちになりたい、楽な暮らしがしたい、異性にモテたい、他人を出し抜きたい…人間の欲望には際限がない。

その歪んで弱りきった心に“そんなに欲しかったら手に入れればいいじゃん、手伝ってやろうか?”と、そっと囁きかけ誘惑してくるのが悪魔だ。

悪魔を倒すことはできない。
なぜなら人間は、それほど簡単に無欲になることなどできないから。
人間にできるのは、勇気を振り絞って甘い誘惑に負けない努力をすることだけだ…。

聖書には、様々な試練に翻弄されながら、神と悪魔の間で揺れ動く人間の姿が描かれているが…「ウルトラマンA」も、まさに同じことを描こうとしていた。

ヤプール人という名の悪魔の誘惑に負けた人間が生み出した超獣…それはまさしく人間の邪心の権化…具現化された欲望そのものだ。

災害や大破壊…自分の力ではどうすることもできない脅威が身に迫った時、人々にはただ祈ることしかできない。

その祈りが、遠く輝く夜空の星に住む神の御元に届いた時、信じる者たちを救うため、銀河連邦はるかに越えて神は御使いを遣わし“奇跡”を起こす。

信仰心…神を、そして人間を信じることをやめなかった、選ばれし一組の良き男女…二人が授かった神との絆、ウルトラリングが光り、二人は現代のアダムとイブになって眩い光の中で溶けあい、“救世主”ウルトラマンAが誕生する。

そう…神と悪魔の超常的な力を借りて姿形こそ変わってはいるが、ウルトラマンAも超獣も、実はどちらも人間(の化身)なのである。

その戦いの意味するところは、まさに“ハルマゲドン”だ。

超獣は、神の御使いであるAの“神罰”によって撃退される。

それは“殺人行為”かもしれないが、Aは罪人がこれ以上罪を重ねる前に止めてあげた…罪人の魂を救ってあげたのだとも解釈できる。
悪魔の誘惑に負けて超獣を生み出してしまった人間は、言うなれば自らの欲望によって身を滅ぼしてしまったわけだから、これはこれで仕方ない。

こうしてみると、設定そのものは破綻なくまとまっており(?)「A」の世界観は実によくできているように思える。

しかし…いかんせん、コレをやるには時代が早すぎた。

「A」の放送当時にはまだ、ジャリ番に聖書的世界観を上手く組み込むことができるほど日本のコンテンツ産業は成熟の域に達してはいなかった…。

はたして「ウルトラマンA」を見て、Aと超獣の戦いが、神と悪魔の戦い(人間をよりしろにした代理戦争だが)に見えた人間が何人いただろう?

放送当時、この設定の意図するところを正解に理解できていた者がスタッフも視聴者も含め、一体何人いたことか。

いまならば、どうだかわからない。
「A」から30年以上経って、聖書的世界観を存分に盛り込んだアニメ「エヴァンゲリオン」が大ヒットしている現在ならば。

しかし当時、「A」の視聴者である子供にとっては、作品の世界観などそれほど深く掘り下げなくてもいい…はっきり言ってどうでもいい問題だった。
子供にとって重要だったのはただ“今週はどんな能力を持ったどんな形の怪獣がウルトラマンと戦うのかな?”ということだけだった。

その結果、当初の企画意図などどこへやら、「A」はあの手この手で子供たちの顔色をうかがうような番組になっていってしまった。

ショッカーのような基地を持たず、異次元という掴みどころのない場所から攻めてくる…そんな曖昧さが嫌われたのだろうか?
せっかくのイイ設定だったヤプール人もその設定を上手く活かしきれないまま番組中盤で姿を消した。

超獣という設定だけは残ったが、肝心の超獣のデザインが…サボテン、牛、ホタル、鳩…果ては河童、バイオリンというモチーフ的に子供にわかりやすいものから、何だかよくわからないものまで何でもアリの状態…ただただケバケバしいだけで(そこが超獣らしいともいえるのだが)“これぞ超獣”という決定的なラインを生み出すことができなかった。

その超獣のデザインに象徴されるように「A」の番組内容は放送中迷走をし続ける…。

そしてついに「A」は、設定の要(キモ)だったハズの男女合体変身まで止めてしまった。
理由はわからない。
どこかの子供から“変身ごっこするのに女の子と一緒じゃ恥ずかしくてやりづらい”とか、投書でも来たのだろうか?

ヒロイン“南夕子”の突然の降板…それは、演じられていた星光子さんにとっても寝耳に水の出来事だったという。

星さんにお聞きしたところ…事前にまったく、なんの相談もされておらず、シナリオを渡されて読んでみて初めて降板の事実を知ったらしい。

「A」から南夕子が姿を消す第28話のサブタイトルは「さようなら夕子よ、月の妹よ」という。

むごい…。

このサブタイトル…これを見た時の星さんの気持ちはどんなだっただろう…。

「思い出すと、いまだにちょっと…ね」と、星さんの目にうっすらと涙が滲んだ。

思い出させてしまってごめんなさい…。

しかし私は、その星さんの涙で少しだけ救われたような気持ちになった。

(続く) 
2009/08/05 09:25|特撮魂TB:0CM:0

実は傑作?「ウルトラマンA」(3 

8月3日

「仮面ライダー」における“ショッカー”のような敵組織の存在は、「ウルトラマン」にはなかった。

基本的に1話完結。
登場する怪獣や星人(宇宙人)は毎回変わる…それが「ウルトラマン」の基本フォーマットだったからだ。

そのフォーマットが「ウルトラマンA」では変更になった。

「A」ではストーリー全体を通しての敵役“異次元の悪魔ヤプール人”が設定された。
それは昭和ウルトラシリーズの中でも「A」だけにしかない、特殊かつ大きな特徴だ。

事件を影で操る黒幕という意味ではショッカーもヤプール人も大差はないのだが、“人間ではない”分ショッカーよりヤプールの方がずっと“悪魔的”で厄介な敵だといえる。

なぜなら“悪魔”というものは、本来倒そうとしても倒せない相手だからだ。

そのヤプールの悪魔性が非常に顕著に現れている話がある。

「A」第4話「3億年超獣出現!」というエピソードだ。

この回で、ヤプール人のターゲットとなった人間は怪奇漫画家の久里虫太郎(くり むしたろう)先生。
演ずるは怪優・清水紘次(しみず こうじ)氏。

久里先生は、富と名声を手に入れる代わりにヤプールに魂を売り渡してしまった。
そしてヤプールの命ずるがままにマンガを描かされるのだが…。

「描け!描くのだ!久里虫太郎よ!」

ヤプールが命令すると久里先生はペンを走らせ始める…久里先生はヤプールの力を借りて、マンガに描いたことを現実にすることができた。
シーラカンスのような古代魚をモデルにした超獣ガランをマンガで描けば、それがそのまま現実の世界に本物の超獣となって現れる。

だが、魂を売り渡したと言っても久里先生は芸術家。
デッサンや超獣の暴れ方が少しでも気に入らないと…

「ウーン…違う!こうじゃない!」

とせっかく途中まで描いたガランの下書きを消しゴムでゴシゴシ消してしまう。
すると現実世界のガランも、消しゴムで消されたかのように忽然と姿を消してしまう…。

なんちゅうマイペースな奴…と、ヤプールもこんな男を侵略の先兵に選んでしまったことを激しく後悔したことだろう。
きっと、完璧を追求するあまりなかなか原稿を手離さない漫画家を相手にいつまでも待たされる編集者のような気持ちになったに違いない。
だが…久里先生がそんなこだわりと異常な執念を持った人間だったからこそ超獣という架空の生物に生命を吹き込むことができた、ともいえる…。

そんな、生殺与奪思うがままに造物主気分を満喫しながら芸術的漫画家ライフを最高にエンジョイしているかのように見える久里先生にもたったひとつ、どうしても手に入れることができないものがあった。

それは恋人。

「恋人が欲しかったら、それこそマンガで描きゃいいじゃん…」と凡人は思うだろう。
しかし、久里先生の芸術的感性はそれを許さない。

久里先生には長年の想い人がいた。
かつての小学校時代の同級生で、今は対超獣戦闘部隊TACで働いている女性、美川(みかわ)隊員だ。

久里先生は美川隊員を自宅に招き二人きりの同窓会を挙行…かねてから抱いていた想いの丈を美川隊員に打ち明ける。
久里先生の熱い想いを知ってドン引きして帰ろうとする美川隊員…だが、そこはさすがに怪奇漫画家。
先生の方が一枚上手だった。
睡眠薬入りの紅茶で眠らされ、美川隊員はロープで緊縛される。

この時久里先生は、美川隊員が眠っている間に、それこそやろうと思えばヤプールに与えられたマンガ能力を使ってこの女を思い通りに洗脳することがいくらでもできたハズだ。
しかし、久里先生の趣味がそれを許さなかった。

洗脳なんて美しくない。
美川隊員の唇に直接「好き」という言葉を言わせなければ意味がない。
彼女がそれを拒絶するなら、首を縦に振るまで調教するまでのこと。
時間はたっぷりとある、フフフ…と久里先生は思ったに違いない。
(もちろん、表向きは子供番組なのでそこまでの深い心理描写はなされませんが。)

そんな久里先生にとっての楽しい時間は、長くは続かなかった…美川隊員の危機を察知して、駆けつけたTAC(タック)の仲間たちによって美川隊員は久里邸から救出される。

想い人を奪われ絶望した久里先生は、失恋の痛みと悲しみの全てを原稿を描くことにぶつける。
悲しいことがあったとき、それを創作することでしか癒やすことができない…それが芸術家の性(サガ)だから。

久里先生の痛みが乗り移ったかのように、再び出現した超獣ガランは街を破壊し始める。
その前に立ちはだかるウルトラマンA。

「フン、現れたなAめ…戦え!戦えガラン!」

猛然とペンを走らせる久里先生。
完成した原稿が何十枚も宙を舞う。
ウルトラマンの変身時間は三分間…その間にそんな何十枚も…すごいスピードで描きとばしたら、さぞかし荒れた原稿に違いないでしょ…とおもいきや、カメラが映し出した久里先生の手元の原稿は実に丁寧で美しかった。
暴れるガランはもちろんのこと、ガランの攻撃…昔ながらのガーゼテクニックで表現された毒ガスを浴びて、苦しむウルトラマンAの姿までもがきっちりとペン入れされ、隅から隅までキチンと描かれている。
どんなに切羽詰まった修羅場だろうと、たとえ悪魔に魂を売り渡そうと…さらにいうなら、その仕事が悪魔から発注されたものだったとしても…“イイ加減な仕事は絶対にしない”!

漫画家たるもの、かくありたい。

そんな誇り高き漫画家の鑑、久里先生にも最後の時が訪れる。
Aの放ったレーザービームがガランに命中。
それに呼応したかのように久里先生の玉稿が燃えあがる。
苦しみ悶える久里先生。
さらにトドメの一撃、メタリウム光線をガランに浴びせるA。
ガランは木っ端微塵に砕け散り、久里先生の絶叫とともに久里邸も大爆発する。

絶筆&爆死!

こうして、一人の漫画家が切なく豪快にその生涯を閉じた…。

…このエピソード、何が凄いかというと、一見ウルトラマンA対超獣のように見える戦いが、実のところAと戦っているのはたった一人の漫画家、ひとりの人間(の執念)だったという点。

本来敵であるハズのヤプールは、人間の歪んだ欲望に目をつけ、それを実現するのにちょっと手を貸してやっただけで、自ら直接侵略の手を下してはいない。

そこがヤプールという敵の本当に恐ろしいところだ。

人間の心は弱い。
悪魔というものはその心の弱みにつけ込んで誘惑してくる。
人間にできるのは、その誘惑を勇気を持って注意深く遠ざけることだけ。

“何でもお前の望みを叶えてやろう”と言われたら、私はその誘惑をキッパリはねのけることができるだろうか?

「A」の初期には、そういうことを考えさせられる深イイ話が結構あった。

これまた余談だが、実相寺監督が演出された「ウルトラマンダイナ~怪獣戯曲」に私がエキストラで参加させていただいた際、撮影現場で清水紘次氏にお会いすることができた。

「清水さんが演じられた久里虫太郎先生は、僕にとって理想の漫画家像です」と清水氏に話すと「オレ…そんな役やったっけ?」と氏は当時のことをほとんど忘れていらっしゃった。

しかし、私がお願いすると「ウーン…フラッシュマンのリー=ケフレンでサインすることは結構あるんだけど…この役でサインするのは初めてだなぁ」と照れくさそうに笑顔を浮かべながら“久里虫太郎~清水紘次”とサイン帳にサインしてくださった。

その時の清水氏の笑顔は…まぎれもなく久里虫太郎先生そのものだった。
私の大切な宝物である。

(続く) 
2009/08/04 07:21|特撮魂TB:0CM:0

実は傑作?「ウルトラマンA」(2 

8月3日

1966年…“特撮の神様”円谷英二が率いる円谷プロダクションが製作したSF怪獣ドラマ「ウルトラQ」「ウルトラマン」は、テレビで放送が開始されるやいなや驚異的な高視聴率をマークし、日本中に嵐のような一大怪獣ブームを巻き起こした。

熱病にうかされたようなそのブームは三年あまり続いた(その時ビョーキにかかり今なお完治していない人々が河崎監督や福田氏)が、ブームが徐々に鎮静化していくとともに、大人気を博した円谷プロ製作のウルトラシリーズも第3作「ウルトラセブン」を最後に完結する。

しかし数年後…一度は鎮静化した怪獣ブームに、再び火がつき始める。

再放送や学習雑誌での特集記事、ウルトラシリーズから怪獣登場場面だけを抜き出して短く編集したミニ番組「ウルトラファイト」などが呼び水となり、新世代の怪獣ファンが生み出されたのだ。
そこでブームの火付け役だった円谷プロダクションにも、新たなウルトラマンを世に送り出すことが求められた。

1971年…ウルトラマンは再びテレビ画面の中に“帰ってきた”。

それが「帰ってきたウルトラマン」であり、タイトル通り、そこではかつて大人気だった特撮ヒーロー“あのウルトラマン”が“帰ってきた”こと…そのこと自体に意味があった。

「帰ってきたウルトラマン」は、ブームの牽引役としての務めを立派に果たし一年間の放送を好評のうちに終えた。
そして、継続が決定したウルトラシリーズの次回作では、あらゆる意味で“帰ってきた”を“超える”新しいウルトラマンの創造が求められた。

そこで円谷プロは、これぞ決定版!というウルトラマンを作るべく、願いを込めて新たなヒーローを“ウルトラA(エース)”と名付けた。

“エース”である!“一番”である!“本命”である!それだけでもう、この新作に対する円谷プロのチカラの入り方が尋常ではなかったことが伝わってくるだろう。(A…五男だけどね…。)

しかし、“ウルトラA”という名称は、ソフビ人形で怪獣ブームの一翼を担った玩具メーカー・マルサンが、自社のオリジナルヒーローの名前としてすでに商標登録を済ませていた。
そのため円谷プロは、やむを得ず新ヒーローの名を“ウルトラマンA”と改めなければならなかった。

ここまで…大雑把だけど、間違ってませんよね?
怪獣マニアの皆さん…よろしいでしょうか?

…続けますよ。

この“ウルトラA改名事件”からして、すでにウルトラマンAの前途には不吉な暗雲がたれ込めていた…と言えなくもない。
だがそんなのは今だから言えることなのであって、当時のスタッフは誰一人としてその後つづく「A」の迷走を予想してはいなかっただろう。

ことに、「ウルトラセブン」で脚本家デビューを果たし、新たなウルトラマン世界のコンセプト作りをまさに大抜擢で任された、若き日の市川森一先生は燃えに燃えていたハズだ…。

それは「A」の設定を具(つぶさ)に分析していけば実によくわかる。
市川森一先生は「ウルトラマンA」の企画に全身全霊を注ぎ、そこに青春のすべてをかけていた…。

ここから先は、私の推測がかなり入ってくるので…もし市川先生がこの文章をお読みになったらカンカンになって怒られるかもしれない…。

だが、あえて書かなければならない。

「ウルトラマンA」のあまりに時代を先取りした…早すぎたコンセプトを読者に理解してもらうために…。

“ウルトラマンを超えたウルトラマン”を作る…そのために、市川先生は「ウルトラマン」の世界を一度徹底的に解体、分析したはずである。

つまり…“ウルトラマンとは何者なのか?”ということを…。

最初の「ウルトラマン」において怪獣(もしくは宇宙人の侵略)は、例えるなら自然災害…人間の力ではどうすることもできない天災のようなものだった。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉通り、ドラマの中で科特隊の科学力を持ってしてもかなわず、人間の力ではどうすることもできない事態が世界に起こった時、人間をはるかに超えた絶対的能力を持った超越者“ウルトラマン”が…まさに“神”のごとく天から飛来してくる。

ドラマの中で“ウルトラマン”はまさに“神”…いや“神の化身した姿”といえるかもしれない。

神の化身であるがゆえに、ウルトラマンは様々な“奇跡”をおこす。

腕から光線を発射したり、瞬間移動したり。
その神の化身であるウルトラマンは、“普段は普通の人間の姿をして暮らしている”…。

この部分の解釈を、市川先生は「A」の基本設定において一歩も二歩も推し進めた。

クリスチャンである市川先生は(ちなみに円谷一家もクリスチャン家系)、この“誰がウルトラマンに変身するのか?”という問題に独特のキリスト教的な視点と解釈を盛り込んだ。

つまり、ウルトラマンが神…もしくは“神の力の顕現者”であるならば、ウルトラマンに化身できる人間もただの人間ではなく、“神に選ばれし者”…“神に祝福された者”でなければならない。

その人間が一人の“男”ではなく“男女”である理由は、神が人間の業(ごう)である“性”を超越した存在だからだろう。

神は“男性”でも“女性”でもない。(また、そのどちらでもある。)
神に“性別”はない。

神に祝福された良き男女…北斗星司はパン屋さんである。

パンは、新訳聖書の中に出てくる最後の晩餐の場面で、ゲッセマネの園でイエス様が自らの肉として弟子達にお与えになる聖なる糧だ。

一方の南夕子は酒屋さん…じゃなくて看護婦さん。
言うまでもなく、白衣の“天使”である。

「A」の世界で怪獣は“超獣”と呼ばれる。
怪獣を“超えた”怪獣…だから“超獣”なのだが、この超獣…厳密に言うと生物ではない。
その設定については後で説明することにして…

超獣の出現によって瀕死の重傷を負った二人…北斗と南は、神(ウルトラマン)に救われ神の力を顕現する権利…変身アイテム“ウルトラリング”(指輪)を託される…指輪は神と契約した印。
神様が人間を愛し、その愛を人間も裏切りませんと誓う、互いの信頼の証し。

キリスト教式結婚式で、神様の立ち会いのもと男女が誓いの言葉を述べ指輪を交換するのも同じこと…神様の前で愛を誓ったんだから、私たちは神様を裏切りません…という、結婚式とは神様と契約するための儀式であり、契約成立の証明書が指輪なのだ。

ウルトラマンに変身するのが神様に祝福された良き男女ならば、世界に破壊をもたらす超獣もまた人間の心が生み出したものだ。

実はここが「ウルトラマンA」という作品の異常なところ。
というか他のウルトラシリーズとは一線を画する、異質にして「A」最大の特徴なのだが…。

「A」という企画の新機軸のひとつが、敵組織“異次元人ヤプール”の設定だった。

ヤプールは、人間が持っている邪な心や欲望を巧みに利用して、その邪心から超獣を生み出す…まさに“悪魔”だ。

超獣とは、悪魔の化身にして人間の欲望の権化…

つまり…「A」ではウルトラマンが戦う相手、倒すべき敵は人間なのである。

(続く) 
2009/08/03 21:45|特撮魂TB:0CM:0

実は傑作?「ウルトラマンA」(1 

8月3日

現在、東京MXテレビで「ウルトラマンA(エース)」が毎週日曜日の夕方に再放送中である。

メインのテレビ局ではアニメ、特撮の再放送枠は全滅してしまったに等しい状態だが、UHF局では懐かしの子供番組を毎日バリバリ再放送してくれているので個人的にちょっと嬉しい。

というか私にとっては、その“再放送”という雰囲気自体がすでに懐かしい。

思えば「ヤマト」も「ガンダム」も、「あしたのジョー」だって再放送で人気に火が点き「Part.2」が作られたんだから。
もっと評価されてしかるべき作品が本放送されただけでもうオンエアされない…再評価される機会を与えられないというのはいかにも勿体無い。

いやもちろん、本放送が終わったらすぐソフト化→だからファンの人はソフト買うかレンタルで借りるかCS放送に加入してお金払って見てね→という流れが、現在商売として確立しているのはアタマではわかっちゃいるけれど…私はレンタルビデオも面倒くさくてほとんど借りないし、CSにも加入していないんで…。

あそうそう、「ウルトラマンA」のことを書こうと思ってたんだっけ。

先月中旬、オペラ歌手・高野二郎(たかの じろう)氏とミュージシャン・福田裕彦(ふくだ やすひこ)氏が結成した特撮ソングユニット「ジュランジュラン」のライブへ行ってきた。
そのライブに、UMA研究家・天野(あまの)ミチヒロ氏の招待で、女優の星光子(ほし みつこ)さんが娘さんと一緒にいらっしゃっていたのだ。

星光子さん…といえば「ウルトラマンA」のヒロイン“南夕子(みなみ ゆうこ)”…というか“ウルトラマンA”そのものだ。

そして、“南夕子”は…(色々なオトナの事情で)番組途中で姿を消した悲劇のヒロインでもある。

その話は後で書くが、その…南夕子ご本人が聴いている目の前で「ウルトラマンA」の主題歌を歌った高野さんは…後で聞いた話「NHKニューイヤーオペラコンサートに出演した時よりも緊張した」そうだ。
さもありなん。

現在50代の第1次ウルトラブーム世代の福田氏と違い、高野さんも私も「帰ってきたウルトラマン」に始まるウルトラ第2世代の男の子。
「ウルトラマンA」はまさに直球ど真ん中…人生の中で本放送を体験することのできた最初のウルトラマンの一人なのだから。

余談だが、高野さんのマイフェイバリット特撮ヒーローは「ウルトラマンレオ」と「快傑ズバット」らしい。

高野さんは、レオの変身アイテムである指輪“レオリング”のレプリカも所持していて、ここぞという大一番の時には必ず“レオリング”をはめて舞台に上がるという。
もちろん件の“NHKニューイヤーオペラコンサート”の時にも着用していた。
高野さんにとって“レオリング”は、洒落でも冗談でもなく精神の均衡を平静に保ってくれる大切な“御守り”なのだ。

さらに余談になるが、2005年に実相寺監督演出で上演されたオペラ「魔笛」で…高野さんが主役タミーノを演じられた時、新国立劇場舞台裏の控え室(高野さんの個室)に等身大のウルトラセブンのレプリカヘッドが鎮座していたことも、私は忘れることができない。

その行為は、「特撮などガキの見るもの」と馬鹿にしている人間からしてみれば「狂っている」ようにしか見えないだろう。
だが、特撮という虚構の極みにそこまで想いを寄せることができるなんて、素晴らしいことじゃないか!
役者として(もちろん歌手としても)最高の人だ、と「セブン」の最終回を見る度に泣いてしまう私は心底感動した。
本気で。

さて、ここまで読まれて「セブン」や「レオ」が好きという話は出てくるのになかなか「A」の話にならないじゃないか、とお気づきになられた方もいるだろう。

そうなのだ…。

実は、長い長いウルトラシリーズの中にあって「ウルトラマンA」はとても立場が微妙…作品的に…いや、その存在そのものも。

「A」の前作「帰ってきたウルトラマン」の中で最高視聴率を上げたエピソードが、ウルトラマンとウルトラセブンがゲスト出演する話だったことから、「A」では最初からA以前に登場していたウルトラマン達が総登場することが決定した。
この時“ウルトラ兄弟”という設定が作られたのだが、Aはその末っ子…5番目の兄弟ということになった。

“五男”…新ヒーローなのにもかかわらずこの設定上の影の薄さがまず微妙…というか、ウルトラマンAを待っているその後の運命を暗示していた…とも、いまとなっては言える。

「A」が製作された1972年は、「仮面ライダー」から火が点いた変身特撮ヒーローブームの真っ只中にあり、週14~15本もの変身ヒーローがテレビ画面を賑わせていた。
それは特撮マニアにとっては黄金時代だったともいえるが、一方では飽和状態…特撮ヒーローのインフレを引き起こしてしまった。

つまり、あまりにも似たような番組ばっかりが増えすぎてしまったために…視聴者である子供も親も、飽きてしまったのだ。

そんな情勢をモロにひっかぶってしまったために…「A」は、「ウルトラマン」というビッグタイトルだったにもかかわらず、期待を寄せていたスポンサーやキー局の思惑に反して視聴率が延び悩み、放送中に度々番組内容の路線変更を余儀なくされた。

その迷走の最たるものが、レギュラー出演だった星光子さんの降板…ヒロイン南夕子の存在の突然の“消去”だったのである。

はっきり言って「A」は、特撮マニア…特にウルトラマンマニアの間では評判が芳しくない。

その嫌われ方は…もはや「忌み子」と言ってもいいくらいに。

昭和ウルトラシリーズ愛にかけては誰にも負けないと豪語する、かの河崎実(かわさき みのる)監督ですらが「A」の話をする時には、その足の短さを取り上げて爆笑のタネにする。

確かにAの足は短い。
登場する怪獣(劇中では超獣と呼ばれる)のデザインも、天才・成田亨(なりた とおる)先生の創造した怪獣たちに比べたらまるで子供の落書きのようにケバケバしくてセンスがない。

ストーリーにも「セブン」のような一貫性がなく、主人公・北斗星司(ほくと せいじ)の性格がエピソードによってコロコロ変わる。
大体、北斗と南…男女合体で変身した後のAの声が、なぜ「ルパン三世」の銭形警部や、チャールトン・ヘストンの吹き替え声優の納谷悟朗(なや ごろう)なのか?
兄貴のマンがあんな甲高い声なのに…ウルトラ兄弟の末っ子にしてはあまりにも声質が野太すぎる。

おかしいトコロだらけ。
ツッコミを入れ始めたらキリがない…それが「A」という作品なのである。

しかし、だ。

「ウルトラマンA」は、本当にそんなヒドイ作品だったのか?

結果だけで判断してはいけない…と私は言いたい。

「A」には…少なくともそのコンセプト(企画主旨)には、「新しいウルトラマン」を生み出そうとする野心と情熱が満ち溢れていた。

それは「A」のメインライターを務めていた脚本家・市川森一(いちかわ しんいち)氏の若さゆえの情熱の空回りだったのかもしれないのだが…。

という話を、管理人に話したところ、面白いから是非とも書いてくれと言われたのでこうして書いている訳ですが…。

前置きが長くなったが、そんな訳でこの話は次回も続きます。

(続く) 
2009/08/03 06:33|特撮魂TB:0CM:0

自画像 

加藤 礼次朗

Author:加藤 礼次朗
1966年3月8日生まれ。
職業:漫画家。

1986年描き下ろし単行本
『まんが音楽家ストーリー ベートーベン』でデビュー。

映像界では、イラストや友情エキストラ(出演)、2007年にはオペラ「魔笛」の衣装デザインを手がけるなど漫画界以外でも幅広い活動をしている。

 

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バイエル
 

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