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結成!ジュランジュラン(1)。 

9月22日

昨日21日、オシャレな街代官山で、怪獣マニアのミュージシャン福田裕彦(ふくだ やすひこ)先生とオペラ歌手高野二郎(たかの じろう)先生による特撮ソング(以下特ソン)ユニット“ジュランジュラン”の演奏会がありました。

この“ジュランジュラン”の結成に、実は私も大きく関わっています。
というか…そもそも福田先生と高野先生が知り合うきっかけを作ったのが私…いや、実相寺監督が取り持ってくださったご縁なのですが…。

高野先生や福田先生のファンに責められたらどうしよう?と思って、今まで詳しく書くのをためらっていたのですが、昨日の演奏会に行って「もう…逃げられない」と思ったので…覚悟して書きます。

福田裕彦先生と私が最初に会ったのは2004年。
早稲田の録音スタジオ、アバコスタジオでした。

その日は、実相寺昭雄(じっそうじ あきお)監督の映画『姑獲鳥(うぶめ)の夏』の音楽収録がアバコで行われおり『姑獲鳥…』のムック製作に協力していた私も見学に訪れたのですが、その時スタジオ外の打ち合わせ用サロンに居らっしゃったのが「劇団キャラメルボックス」の加藤昌史(かとう まさふみ)プロデューサーだったのです。

演劇好きな私はキャラメルボックスの芝居も度々見に行っており、加藤プロデューサーともちょっとだけ顔見知りでした。

加藤プロデューサーはキャラメルボックスの公演に使う音楽録りのためにアバコに来てらっしゃったのですが、私が実相寺監督の録音の見学に来たことをお話すると急に目の色がギラギラし始めました。

「何…じゃあいま、ソコに実相寺監督が居るの!?いや、実はね…いま録音しているミュージシャンの福田が監督のすっごいファンで…」
「ああ、そうなんですか…じゃあ、休憩時間になったらご紹介しましょうか?」
「それ…冗談じゃないだろうね?」
「…たぶん…大丈夫だと思いますけど…」

それから30分後…『姑獲鳥…』の音楽録音が一旦休憩に入り、スタジオからサロンに出てきた時目にした光景を…私はいまだに忘れることができません。

そこには、緊張でガチガチに固まった加藤プロデューサーと福田裕彦先生が、ソファーに二人キチンと“並んで”座っていらっしゃったのです。

私は実相寺監督が打ち合わせを済ませるのを見計らって声をかけ、加藤プロデューサーと福田先生を紹介しました。

仕事中の実相寺監督はクリエーターオーラが全身から放出されていてもっともエッジが立った状態になっているので、ちょっと声をかけることなどできそうにないほど「もっっのすごい怖そうな人」に見えます。
福田先生も怖かったでしょう。
震えながらご自分の名刺とCDを監督に手渡してらっしゃいました。

それでも、私が加藤プロデューサーに「大丈夫だと思います…」と言ったのは、監督が自分の映画を「好きだ」と言ってくれるファンの人をけして嫌がったりしない方だということを知っていたからです。

実相寺監督は『姑獲鳥…』の製作中、この映画がちゃんとヒットしてくれるかどうか…ものすごく心配していました。
しかし、監督の新作を楽しみにしているファンがいっぱい居る、みんなが待っていることがわかれば、それはきっと監督の励みになるハズだ…と、余計なお世話かもしれませんが…その時、私はそう考えたのです。

今だから告白しますが私、あのとき福田先生のことを利用しました。
ごめんなさい。

その後、福田先生とはまったく接点がなかったのですが…翌年有明で開催された玩具イベント「ワールドキャラクターコンベンション」でたまたま偶然に、私と福田先生は再会を果たしました。
福田先生は怪獣の限定ソフビを買いに、私はトークショーのゲスト兼司会で会場に来ていました。

その頃、イベント終了後…有明ビッグサイトの時は近くのホテルのレストランで打ち上げ飲み会をするのが私と玩具仲間たちのお決まりのコースになっていました。

その日は実相寺監督も飲みにいらっしゃっていたので、アバコでの一件で後ろめたさを感じていた私は福田先生を飲み会にお誘いしました。
福田先生は実相寺監督とずっと離れた席に座っていらっしゃいました。

「どうかしましたか?福田さん…」
「いやあ、緊張するよ…だっていまオレ、実相寺昭雄と同じ空気吸ってるんだよ?オレは監督の『無常』を見て監督と同じ大学に行こうと思った人間だからね…あの映画の中でさ、どうやって撮ったのか?どうしてもわからないカットがあってね…」
「そういうことでしたら、監督に直接お聞きになってみたらいいんじゃないですか?監督は昔の映画のことでも鮮明に記憶していらっしゃいますから…カントク~、ちょっとよろしいでしょうか?」

福田先生の疑問とは、映画『無常』の中に出てくる非常に長い移動撮影のカットで、おそらくは移動台車にカメラを乗せてレールの上を走らせながら撮影したものと思われるが…レールのガタつきがなく非常にスムーズに撮影されているので、手ぶれ防止機能のステディカムなどなかった時代…一体どうやって撮影されたのか?という非常にマニアックなものでした。

それに対する実相寺監督の答えは「たぶん…台車を押した人が上手だったんでしょ。あと、当時は移動撮影用のレールがいまみたいなスチール製のものばかりじゃなく木製のレールも使っていたからね。レールがガタつかなかったのは木製だったからじゃないかな?」というものでした。

勉強になりますね。

その後福田先生は、実相寺監督の依頼で『怪獣のあけぼの』というドキュメンタリーの中に出てくる芸術家集団「池袋モンパルナスの会」の会歌(楽譜だけで音源が残っていない歌)を再現したり、いまにして思えば時間的にはほんの短い間だったかもしれませんが晩年の実相寺監督から非常に頼りにされていました。

一方、私が高野二郎先生と知り合ったのも、やはり実相寺監督のお導きによるものです。

「オタク文化は日本が世界に誇るべき財産だ。日本人自らの手で発信していかなければならぬ。そんなわけで加藤…お前がやれ!」

と、実相寺監督に衣装デザイナーとして大抜擢されてのぞんだ、2005年初演の実相寺監督演出によるモーツァルトの歌劇『魔笛』。

その公演で…ダブルキャストだったのですが、一方のチームで主人公タミーノを演じていらっしゃったのが高野先生だったのです。

高野先生は、『魔笛』本番の楽屋に守り神として等身大ウルトラセブンのレプリカマスクを持ち込むほどの怪獣マニア…。

そんな高野先生と福田先生が初めて出会ったのが、河崎実監督の映画『コアラ課長』の初号試写…その打ち上げの席だったのです。

(続く)  
2009/09/23 18:57|独り言TB:0CM:0
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加藤 礼次朗

Author:加藤 礼次朗
1966年3月8日生まれ。
職業:漫画家。

1986年描き下ろし単行本
『まんが音楽家ストーリー ベートーベン』でデビュー。

映像界では、イラストや友情エキストラ(出演)、2007年にはオペラ「魔笛」の衣装デザインを手がけるなど漫画界以外でも幅広い活動をしている。

 

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